1958年(昭和三三年)

●モスクワ芸術一座来店

お月見/宗方勝己 - Katsumi Munakata -

「新宿」といえば中村屋のカレーライスか追分だんごの甘味・・・そんな真面目な私を『どん底』に引きずり込んだのは、大好きな役者の先輩、本郷淳さんでした。昭和三二、三三年の頃だったと思います。
(※右写真 左 宗方氏)

当時NHKの「バス通り裏」という番組に出演しておりました私達、事あるごとに『どん底』に集いていました。

 「今日は誰々さんの誕生日だからどん底に集合・・・」
 「今日から出演される事になった新しいレギュラーの俳優さんの歓迎会をどん底で・・・」
 「今年の忘年会例年のごとくどん底でね・・・」

とにかく遊ぶことが大好きだった出演者にスタッフの面々、まあ、よく飲みました。
ロシア民謡を皆で大合唱し、童謡を口遊みながら一寸センチになり、時には軍歌も唄い、楽しい青春の日々でした。当時、私も共演者の十朱幸代さんも学生だったのです。

そんなある秋の日でした。矢野さんから、お月見をやるから出てこいよ・・・というお誘いを受け、風流が大好きな矢野さんの事、どんなお月見の宴が催されるか楽しみに出かけて行きました。狭い階段を昇って初めて、『どん底』の屋上に上がり驚きました。三室に並べられたおだんごと季節の野菜、果物、勿論お酒と肴は怠りなく、そして何よりも感動したのが見事なススキの穂でした。わざわざ箱根までススキ刈に出かけられたとか・・・・。
大きなまん丸のお月様を見上げながら、心地よい秋風に吹かれ、旨い酒と料理をいただいたのを今も忘れる事ができません。

それにしてもあの頃の新宿、美しいお月見と満天の星を見る事が出来たんですよね。

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熊倉一雄 - Kazuo Kumakura -

昭和三三年に『どん底』を上演しました。幕切れのどん底のうたを中断する。首吊りの役者の役でした。その頃、劇団の稽古場が原宿にあったので、帰りは新宿をうろついて、屡々『どん底』のお世話になりました。どん底歌集をひもといてみますと、まだちゃんと歌える歌がいくつもあります。上の階から眺めると階下はまさに劇場の平土間。歌が始まると何とも素敵な活気でした。時代ですね。そうそう、青山の小原会館で、オーナーの矢野智夫婦と牟田梯三夫婦のジョイント結婚披露宴なんてのがあって、簡素でお洒落で爽やかで、とてもよかった。あれも時代ですね。

どん底四〇周年の一寸前に、牟田君や今は亡き本郷淳君と一緒に久しぶりにどん底を訪れましたが、セピア色の世界に入って行くようで、ジンと時の重さを感じました。それにしても、気軽にカウンターの向うに入って何か作ってくれる矢野君の横顔の若々しかったこと。何ともたのもしく嬉しかった。今后ともどうぞお元気で。『どん底』開店五〇周年、ほんとにおめでとう。

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