1964年(昭和三九年)

太田篤也 - Tokuya Ota -

「ピザ」って何ですか?
「お好み焼の上にチーズがのっかてんだよ」
そのお好み焼ってのもわからない。

時は昭和39年。東京オリンピックの年。北海道から出て来たての、ニキビ面のいなか者、太田少年には、「ピザ」が理解出来ない。
「とみさん」「ささきさん」「やまちゃん」「しょうちゃん」そして「あいちゃん」が一生懸命説明してくれるんですが、全然わからない。

 チーズって溶けるんですか? ふ〜ん?
 北海道のチーズと違うんですネ。
 おっかなビックリ食べてみました。
 これがイタリアの味か!
 初めて食べる洋ものだ!
 ???!
 チーズののっかったお好み焼・・・・・ん???!
 太田少年、十九才の秋でした。

その後すぐに、「あいちゃん」の同級生の「山口さん」に紹介してもらい『どん底』にもくりこみ、そしてまもなく「蛍雪時代」を抱えて、「あいちゃん」の部屋に居候させてもらいました。

東京で小金を貯めて札幌で小さな喫茶店を持とうと思っていた小市民的な夢はいっぺんに吹き飛びました。
『どん底』に一歩入った時に太田少年の人生は決まりました。
『どん底』の第一印象は、決定的に驚きショックでした。
この時の事を「カルチャーショック」と表現する事を後になって知りました。
この新宿で「矢野さん」の様に店を持ちたい、それも『どん底』の近くでやりたい。
「矢野さん」は二月誕生日に『どん底』でJAZZのライブパーティーをやっていました。
それを見ながら太田少年は勝手に、本当に勝手なんですが自分も二月生まれだからこれはヒョッとしてヒョッとすれば新宿で店を持てるかもしれない、と思う単純なやつでした。

あれから十四年、三三才の時に「池林房」を持つ事が出来ました。『どん底』から歩いて七八歩の所です。
自分はこれから三〇〇年生きようと思っています。だから『どん底』も「皆さん」ももっともっと長生きして下さい。

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どん底時代の思い出と感謝!/前原三千男 - Michio Maehara -

私の思い出は従業員として昭和三八年から六年間相川さんを始め富沢さん、太田君、中根君の働いた時代をよく思い出します。

なかでも相ちゃんの商売の上手さには感心しておりました。五〇周年を迎え、支えてこられた相ちゃん富さんがんばりましたね。感謝しております。又どん底で多くのお客様と知り合い、出会えた事は大変良かったと思います。なかでもどんクラ時代行ちゃん、野田君、章平のころ右近さん、小松さんとの思い出などは、私にとっては青春時代のすべてそのものでした(思い出が多くて色々ーエロエローありました)。それから矢野さんの紹介で砂川啓介、大山のぶ代さんの砂の会(ゴルフ)に今でも楽しく参加しています。

最後に矢野さん・・・私の今ある人生はどん底との出会があったからです。どん底で働いた事を誇りに思い感謝しております。本当に五〇周年おめでとうございます。

心からお喜び申し上げます。

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