1966年(昭和四一年)

「どんマス」のことなど/石渡伸幸 -Nobuyuki Ishiwatari-

『どん底』のおやじ矢野さんのことを、俺たちは「どんマス」あるいは「さとしさん」と呼んでいた。
話を聞いてくれる人であり、餓鬼大将であり、兄貴分でもあった。俺たちにとっては、金主元でもあり、とても有難い存在だった。
私は、高校も大学も神田から国電に乗り、新宿乗換で通っていたので、新宿は通学路に当り、『どん底』の常連だった。いや、ある意味では常連以上の存在だったかもしれない。
当時の私は、『どん底』の近所でバーテンやボーイのアルバイトをやり、終わっては『どん底』で朝まで過し、大ガード下の小便横丁で朝食を採っては、学校に通う毎日だった。そんな私は、『どん底』で「神田のどら息子」と呼ばれていた。

当時はモダンジャズの第一期流行期で、キーヨ、ヨット、ジャズ・メッセンジャーズ、木馬等々のジャズ喫茶からB・G・Mのはしり(流行)として、モンク、ブレイキーやデイビス、ゲッツのサウンドが流れ、また歌声運動の最盛期でもあり、界隈にはロシア民謡が氾濫していた。むろん『どん底』もその一軒であった。
そのような雰囲気の中で、『どん底』には多くの文化人が足を運んできていた。
こんな綺麗な人がこの世に存在するのかと思った。スリムで美しい真奈美さんに会った事を、昨日のことのように思い出すことができる。真奈美さんには、ここでの出会いが縁で後日講演を依頼したこともある。

さて、私が通った昭和三五年から四一年頃は、六〇年安保の学生運動が盛り上がりと退潮の時期に当り、社会の枠組を若者が揺さぶり、国家を変革することするも可能と思わせる風潮があった。
若者の政治論議(今はなくなってしまったが・・・)の中では、スターリンが批判され、土着ロシア的な社会主義が崩壊し、真正な社会主義が姿を現すという幻想があり、日本においてもそれが可能とする熱気があった。
ロシア民謡の爆発的な流行も、その様な状況の反映であったに違いない。
当時の私は、アルバイトの日々に明け暮れながらも、少し右翼がかった硬派を気どっていた。ロシア民謡を謡い、日本海の彼方に思いを馳せ、声高に語る社会の雰囲気に反発を感じていたからなのだが、実は、同時に解放的雰囲気に惹かれるという矛盾した存在でもあった。
要するに「神田のどら息子」だったのである。

いつの頃だったか忘れたが、酔っぱらって学生達と議論をし、口下手な私はたちまち言い負かされた。頭に血がのぼった私は着ているものを次々と脱ぎ、『どん底』の暖炉に放り込み燃やしてしまった(聞くところによると、もう一人私と同じようにパンツ一枚になった人がいるらしい)。
パンツ一枚になった私を、あきれ顔で見ていた人達の中に真奈美さんの顔もあったような気がするが今となっては定かではない。
その日、パンツ一枚の私がどうやって家に帰ったかも忘れてしまったが、多分「どんマス」か相ちゃんが私に着るものを貸してくれたのだろう。
その事件の数日あと、「どんマス」は私を誘い、焼肉(或いはステーキだったか)をご馳走してくれた。馬鹿なやつだと思うと同時に、もしかしたら、「どんマス」自身の青春と重ね合わせていたのかもしれない。

こんな『どん底』には、私の青春を共に築いた仲間もいた。
そんな一人の相ちゃんは、私が食い逃げしても、若気の至りで悪さをしても、同年代の好誼で笑って許してくれた。
同級生のミツヒコやカズヤ達とは、連日のように『どん底』で語り合ったものだ。
時には、白のオースチンのオープンカーを乗り回したりもしていたが、こうした友との「『どん底』を舞台にした楽しい日々は、今では決して忘れることの出来ない思い出である。
今にして思えば、あれが私の青春だった。『どん底』には、今は戻りたくても戻ることのできない、輝ける青春があったことは確かである。

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木岡幹雄 -Mikio Kioka-

私が知人に連れられ初めて『どん底』に行ったのは約三五年前のことでした。
二階のカウンターには相ちゃん・村ちゃんがいて、年齢的には私の方が若干若かったのですが意気投合し、それ以降学生ながら時間のある時は店に立ち寄り、二階のカウンター席で四方山話をしながらお酒を飲むのが習性となってしまいました。そのうちにマスターの矢野さんはじめたくさんのどん底仲間と知りあう事になり、そんな仲間から有意義なお話を聞ける機会も多く、以前にもまして足を運ぶ回数が増え門限のある寮生活をしていた私には、恰好の息抜きの場となってしまいました。

社会人になってからもどん底通いは止まず、毎日のように顔を出し話に(お酒に?)夢中になり、朝まで飲んで直接会社に出勤するような日もあったと記憶しています。年を経るにつれアシを運ぶ回数が少なくなりましたが、何かで新宿方面に行った際にはどんなに遅くなっても必ず立ち寄り、昔話を肴にお酒を飲んでいます。そんな『どん底』が五〇周年を迎えるとの事、私が初めて行った時から変わらぬ店内・雰囲気を今後とも維持していただきたいと思います。

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