1970年(昭和四五年)

岸田今日子 -Kyoko Kishida-

はじめて『どん底』へ行ったのは、いつだったかしら。だれと一緒だったのかしら。
五〇年前といえば、ちょうどわたしが芝居を始めたのと同じ頃に『どん底』は生まれたんだと、何だか嬉しいような、なつかしいような。でも、お酒も遊びも知らなかったウブな(?!)わたしは、新宿という所に足を踏み入れるのが、ちょっと恐かったみたいな気がします。
何年か経って、テレビなどにも出るようになって、共演者(だれだったんだろう)に連れられて、『どん底』へ行った時、もうこのお店は「あの」という感じで語られていたのでした。ちょっと晴れがましくお店へ入ったものの、新参者には、やや取っつきにくい、まして相変らずお酒も飲めないわたしには、気軽に入りにくい『どん底』だったのです。
又、何年かして、もう常連中の常連という気易さでお店に出入りしている、冨士真奈美と仲よくなってから、わたしの『どん底』への敷居の高さは消えました。サトシさんにも友人として認められたかな、という自負も生まれたりして。
マドリッドの『どん底』だって、真奈美や吉行和子さんと訪問したし、「じゃあ『どん底』でね」という待ち合わせにも怯えなくなったのです。一向に酒量は上がりませんけれど、あの新宿の一角に、昔のまんまの『どん底』があるのは、今ではわたしにとっても嬉しい事実です。
昔、足を踏み入れるのが、あんなにためらわれたということさえ、何だかなつかしい、温かい思い出になっているのは何故でしょう。イルミネーションが輝く表通りの裏側に、オレンジ色の街灯として、いつまでも灯っていて下さい。

※岸田今日子さんは2006年12月17日お亡くなりになりました。
 心よりご冥福をお祈りします。

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わが青春のアジト/冨士真奈美 -Manami Fuji-

ついこの間、四〇周年を祝ったと思ったら、もう「どん底創立五〇周年」だという。まったく月日の経つのは早いものだ。
私が初めて『どん底』を訪れたのは一八歳の時。NHKの専属女優だった頃で、俳優座養成所へも研修生として通っていた。一八歳だから当然、お酒を呑んではいけない年令だが、そんなことは考えもせず毎晩せっせと『どん底』へ通い、もちろんアルコール入り飲料を呑んでいた、と思う(とボカすところは私の良心である。どん底主人の智さんは大笑いするだろう)。お酒は二〇歳から、などと世の中が厳しくなったのは、ここ二〇年位のことではないか(いずれにせよ時効、ね)。
俳優座養成所の仲間とは本当によく呑んだ。先輩たちもよくタムロしていたし、作家、画家、歌手、ダンサー、大学の先生まで(卵からすでに孵化して金回りのいい有名人まで)実に賑やかで、しかも皆がさりげなく呑んでいる店であった。
一人でもよく出かけた。お金があってもなくても出かけた。安酒も高い酒も呑んだ。
ペチカを焚き、ローソクの灯を受けて、看板まで呑んでいた。ボーイフレンドが出来ると必らず連れていって常連にしたし、面倒が起きると智さんに押し付けて知らんぷりしたりした。
『どん底』のボーイさん達の新年会に出かけたり、眠くなって、椅子を並べて朝まで寝てしまったこともあった。
つまり、『どん底』は私の青春のアジトであった。最初の頃は地下でよく歌も唄った。アコーディオンの「アコさん」に必ずリクエストしたのが「郵便馬車の馭者だった頃」。

郵便馬車の馭者だった
俺は若くて力持ち
馭者の仕事は西東
俺はあの子に惚れていた・・・

から始まり

皆の衆あの子が死んでいた
茶色の瞳を閉じて
酒をくれ早く酒をくれ
もうこの先は話せない・・・

というところまでくると、目はウルウルし声は湿り、更に威勢よく酒を呑むのだった(いつだったか秋田県の新聞の投書欄に“わが青春の思い出”と題して中老の男性が、若き日上京した折、新宿のロシア民謡酒場へ寄ってみたら冨士真奈美さんが張り切って唄っていた。私は売れない女優です、と自己紹介していた。と書いているのを偶然読んでびっくりした。私の『どん底』における呑んべえ姿が誰方かの思い出になってくれたなんて、と嬉しくもあった。)
『どん底』の主人の智さんとは、実によく呑んだし、旅行したり泳ぎに行ったり競馬に行ったり、スペイン製アクセサリイを大量に貰ったり。なにしろ隠しだてのない間柄で、すでに生涯の親友になりかかっている。義理堅いし面倒見がいいり、なにより『どん底』の蔦の絡まりかた、ランタンの配しかたを見てもわかるようにとびきりの趣味人なので、尊敬している人頼りにしている人は多いと思う。若い頃は興が乗りすぎて、燃え盛るペチカにジャケットを脱ぎ捨て投げ入れたり、ウォッカを降りそそいで手を叩いて喜んでいるうちに火事にしてしまったり、と散々なこともあったが、あれも思い出これも思い出。
人生は帳尻が合えば万々歳、である。
スペインのお店も大繁盛。新宿『どん底』も五〇周年を迎えて益々の繁栄ぶり。近頃は、酒量もすっかり衰えた私だが、決して若き日のアジトを忘れたわけではない。またぞろ出かけて行って、わがままのひとつも言ってみたいものだ、とひそかに思っているのである。
智さん、『どん底』スタッフの皆さん、お身体お大事に益々お店を盛り立てて、居心地よく、おいしいお酒を呑ませて下さい。チーズたっぷりのピザ、お願いします!

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