1978年(昭和五三年)

もう一度、青春/吉行和子 -Kazuko Yoshiyuki-

五〇周年おめでとうございます。私はずい分遅く、『どん底』と巡り会い、残念でたまりません。青春時代にもっと楽しみたかった!と思うわけです。しかし悔いてみても仕方ありません。めいっぱい、『どん底』の独特な雰囲気を吸いこんで、もう一度、青春という感じで過してやるぞ!と思っているわけです。

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「私とどん底」/坂田文男 -Fumio Sakata-

昭和四一年に初めてどん底へ
付き合い始めた文学座の研究生だった女性(以来今日まで付き合っている妻みどり)の紹介だった。昭和四〇〜四五の五年間の大学生活は、初めて足を運んだ昭和四一年からのどん底通いで、酒と歌と賭け事に明け暮れる。従って成績も『どん底』。四年が五年になった所以だ。しかしこのどん底通いこそ、私にとって二度と戻ってこない青春を最大限謳歌した四年間だと自負している。

卒業して田舎(雪と着物とコシヒカリの里・・・越後十日町)へ戻り、当てにならない跡継ぎだが、同族経営の許しを得て親父の会社に入る。昭和五〇〜五三年東京営業所勤務。この三年間の東京の生活も『どん底通い』復活の日々だった。そして今日までの二〇年以上、上京時に立ち寄る程度になってしまったが、いつ行っても青春時代と同じ様に気楽に肩凝らずに、昔の良き時代のように飲んで寛げることを本当に有り難いと思っている。

『どん底ボウリング大会』武蔵野ボウルにてあわやパーフェクト。
どんマス真っ青。
惜しくもパーフェクト逃し、一年間飲み放題実現ならず。
九フレームまでストライク。六フレーム位から参加メンバー(小松方正さん、島田陽子さんなども参加)全員が私の投球を見ている。どんマスがパーフェクトで一年間飲み放題だと言った。酒豪の私は何が何でも出すぞの意気込みだ。ストライクが続いた。歓声も拍手も聞こえる。九フレームまできた。これはもしかして。どんマスが気のせいか顔が青ざめている。私に一年間只飲みされたのではたまったもんじゃないと思ったのだろう。私の心も少し動揺?したのか一〇フレームでピンが残り、パーフェクト只飲みの夢と欲は泡と消えた。因みにスコアは二八七。この日はハイスコアが出易いレーン状態だった。

『どん底スキー大会』石打丸スキー場。
当時石打丸スキー場中腹ロッジにもどん底があった。どんマスがロッジに行っている日程に合わせ、私の知っている石打駅近くの民宿に宿をとった。約二〇名の参加だ。どん底の前からマイクロバスで出発。往復の車中。民宿、ゲレンデにおいて酒浸りだ。歌もあり、隠し芸ありで賑やかだ。どんマスの手品もセミプロ並だ。どん底ファンの絆を深めた二日間だった。

『相ちゃんに六〇周年に向けてエール!』
夫婦揃って相ちゃんのファンだ。私のどん底の歴史の中で、親しく付き合いをさせてもらった相ちゃんの同僚でこの五〇周年に駆け付けて来れないところへ行ってしまった人達の分まで我々どん底ファンのために頑張ってほしい。

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