1984年(昭和五九年)

花川 孝司 -Koji Hanagawa-

初めて重々しい扉の前に立った、あの日。五分ほど迷ったあげく、意を決して扉を開けた(ちょっとドキドキ※原文ではハートが入る)・・・・と、その時、そこには信じられない光景がぁ〜!なんて事があるワケなく、実に心地よい空気が僕を包み込んでくれたのを覚えている。

あれから一七年。ほぼ毎週のように居座る座敷童子と化してしまう事になろうとは・・・・。へたなドラマよりドラマティックな、性別・年齢を超えた。“まぶだち”たちとめぐり遭い。その愛しきキャラクターの面々の中には、永遠の別れとなってしまった人も幾人か・・・。そんな異空間での喜びや悲しみが僕の本能を覚醒し、その虜となってしまったのだろう。

もちろん「どん底カクテル」の存在も大きかった。「どんカク」初体験の夜に、帰ろうと椅子を立ったまま後ろにブッ倒れた。にもかかわらず。未だに四〜五杯飲めば、確実に違う本能(?)が僕を獣に変える。分かっちゃいるけど止められないんだな、これが。スタッフの皆さん、お客さん、本当にごめんなさい。ガス抜きと言い訳してガス充満のバクハツを繰り返して、本当にごめんなさい。でも、少しだけ甘える事のお許しを。人生の半分以上を東京で過ごしてきた僕にとって、大切な心の拠り所であり、第二の故郷のような居場所でもあるのが「どん底」であるワケで・・・。僕の生誕五〇周年日も、ぜひ「どんカク」を二〜三杯、いや四〜五杯、いやそれ以上飲みつつ、の夜にしたいな〜などと、恐ろしい企画も妄想中。その時はよろしく

ま、それより先に実現させたいのが、徳島に住む両親を招待する事だ。四一年間見せた事のない息子の息づかい、『どん底』で感じとってくれれば嬉しいのだが、まだ遅過ぎではないはずだから。それに、大切な人で連れて来たいないの両親だけだから・・・。

最後に。祝!五〇周年!これからもよろしく!

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レミーさん/一杉 伸大 -Nobuo Ichisugi-

私は今五〇歳である。
その人の私の呼び名は「チンタ」である。
五〇歳の私の呼び名がチンタである。
私にだって、妻もいれば子供もいる。三人もいる。妻はひとりだ。
しかるにチンタである。
世間体だって、見栄だって、一応ある。だって五〇歳である。
そんなのはおかまいなしにチンタである。
三五年変わらずにチンタである。
三五年前は純真だった。チンタでもよかった。
チンタと呼ばれてときおり顔を赤らめもした(かな?)。

どん底も同じ五〇歳になった。
こちらはめでたい。ほんとうにめでたい。
五〇歳のチンタはめでたいかどうかわからない。

「その人」のことを我々はその昔、レミーさんと呼んでいた。
スキー場で昼間っからレミーマルタンを飲んでいたからだ。
レミーマルタンと言えば、そりゃ、あなた、その当時はすごかった。
ふもとの温泉街のおにいちゃんが、レミーマルタンをたった一本だけ大事そうに抱えて、届けに来てくれたものだ。
子供心にすごい人だと思っていたが、果たしてその生態は不明だった。
謎の人物だった。
スキー場に来て、いつスキーをしているのか誰にもわからなかった。スキーをしているのを見た人がいなかった。
不思議な雰囲気を持った人だった。
話の内容がとてつもなく面白かった。私にはまるで別世界の人のように見えた。
独特の語り口はその風貌ともあいまって、聴くものを包み込むようだった。
謎の人物は人を惹きつける魅力を持っていた。
だから、今五〇歳になってその人に「チンタ」と呼ばれるとうれしい。

矢野智様、どん底五〇周年おめでとうございます。

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