1988年(昭和六三年)

山本康生 -Yasuo Yamamoto-

私が初めてどん底に飲みにいった時まだ地下でアコーディオンベースの歌声をやっていました。私の記憶の中ではその時あったどん底の歌集に確か三島由紀夫が内容は覚えていませんが何かを書いていたのを覚えています。どうしてこのお店が生れたのか、この不思議な魅力は一体どこからくるのか、歴史を刻み続けている人間の熱気がなぜいつも感じるのかなどそのときからどん底に対し大変興味をもったことを思い出します。仲良くなったお客さんやお店の人に尋ねると新宿で一番古い飲み屋であることがわかりビックリしました。ということは自分が生れる前からこの店が存在していたことになりその当時このようなお店をデザインして作り上げた人間の才能にぜひ一度触れてみたいと強く思うようになったことを思い出します。それから五年の月日がたちついにその夢が実現することになりました。舞台は今から一三年前の枯葉舞う冬のマドリードです。ついに矢野さんとの衝撃的な出会いが実現しました。

友人を頼りにスペインに連絡をとってもらい忙しい中一日だけ時間を作ってもらうことができました。その代わり日本から正月用の扉に付けるしめ飾りを届けてほしいと連絡があり一番豪華な海老付きの物を出発の前日に用意しました。その夜に友人たちが送別会という名目の飲み会を開いてくれました。その席で酔っ払った悪友達がしめ飾りを振り回し海老が取れたり一メートルほどあった飾り物が極端に短くなったことを思い出します。不本意ながらワビサビも薄れバランスの悪いしめ飾りとなった代物をもっていざマドリードへモスクワ経由で出発です。北極上空ではなんとオーロラが飛行機の窓より見る事ができ今回の旅行が素晴しい物語の始まりである予感を多いに感じました。ところがなんとマドリード空港でいきなりバッグを開けなさいという入国審査が行われ自分は一日でとんぼ帰りするつもりだったので大きなスーツケースの中にはパンツ一丁とワラでできた海老付きのしめ飾りだけです。いやな予感がしましたがとりあえずバッグを開けると入国審査官がしめ飾りをみて多分これは何だと言っていると思われたので「ジャパニーズドアリース」と何度も叫んだのですが、スペイン人の審査官がワラでできている部分を指差しタバコを吸うまねをしています。やはりこれはどう見ても世の中によろしくない物をイメージしている感じです。しかも中身がほかにパンツ一丁しかありません。危なく連行されそうになった時、絶妙のタイミングで日本人の紳士が登場し、スペイン語で説明していただき、何とか無事に入国することができました。そして感動の矢野さんとの出会いがありました。翌日日本に帰ると言ったら「君が僕の知ってる中で一番滞在が短い人だ」と一応誉められました。それ以降矢野さんとは何度もマドリードの矢野邸にお邪魔したりバルセロナに遊びに行ったり東京で遊んだりと大変仲良くしていただいております。やはりこの人でないとどん底は作れなかったことを今実感します。矢野さんの才能とどん底のファンに今夜も乾杯。

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『どん底』五〇周年のお祝いに寄せて/鈴木眞 -Makoto Suzuki-

私がどん底に通い始めたのは、昭和三五年頃からでしょうか。おなじみのメンバーが出来、色々な分野での話を聞かせて貰うのは大変楽しいものでした。スキーの会、ゴルフの会なども企画され、その折松濤の観世能楽堂で、常連の方達による、前代未聞の狂言があり、小松政夫さんの“ひげやぐら”、美輪明宏さんたちの“天地獄”など、まさに抱腹絶倒でした。以来狂言の面白さに憑かれ、三宅右近さんの公演、また三宅さんのご指導演出の日本ろう者劇団の公演も、私の所属する芝ライオンズクラブの三〇周年には、当時クラブの会長だったご縁で、手話狂言“二人袴”を上演して頂き、以来今日まで芝クラブから劇団を応援させて頂いてをります。

又一九九一年に矢野さんのお世話でスペイン旅行を企画して頂き参加して以来五回程、楽しい旅行をご一緒させて頂きました。

特に食事には特別の配慮があり、事前に下見され試食をされた上で私共を案内して頂けて、大変おいしい食事の数々に満足でした。その中にスペイン丈にしか味わえない
“ペルセベス”ガリシヤ地方の海の岩肌に群生している、細長い貝の貝柱をわさび醤油での食感は、ビールにピッタリの旨味でした。

“アンギラス”うなぎの稚魚のオリーブ煮とシェリー酒が良く合う旨さ。

又、ラコールニャの海辺でのバーベキューは市場で買いこんだ、ひらめの刺身、生ハム、帆立貝、海老、鰯、ピーマン、レタス、果物そしてビール、ワインを購入して浜辺での豪華な食事に大満足でした。

いつも矢野さんには、濃やかな気配りと、用到なプランで案内して頂いて、他の旅行のツアーでは絶対に得られない、満足感に心から感謝して居ります。楽しい旅を有難うございました。どん底のお陰で、多くの知人、友人を得ることが出来、人生の巾も楽しみも広がりました。矢野さん共々シニヤの世代に入りましたが、これからも、気分は青年で、元気で楽しく過したいものと思って居ります。

どん底の益々の発展と矢野さんも健康に留意されて過されるよう祈念しております。

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