1992年(平成四年)

黒柳 徹子 -Tetsuko Kuroyanagi-

 「徹子の部屋」より。再構成=矢野智

黒柳:新宿最古の居酒屋で御主人です。多くの演劇人、芸術家、作家達が通った店で、このテレビをご覧になっていらっしゃる方にも、『あのどん底か!!』とお思いになっていらっしゃることでしょう。
矢野智さんです。

矢野:お久しぶりです・・・略・・・。

黒柳:どん底の最初の頃の写真をみて、ホントにすごいですよね!!今どきこういう建物はみあたらないですよね。どん底という芝居から考えると、どん底だからこれでいいのでしょうけど、これでもってこんなに大勢の俳優さん、音楽家、詩人が集るなんて、ほんとに魅力があったんですね。

矢野:本当に大勢の人達がみえましたね。

黒柳:・・・略・・・私は一度、大山のぶ代さんに連れていってもらったんですが、その時も大勢の有名な方達がいらっしゃいましたが、古賀政男さんが歌を唄っていらっしゃいましたよね。

矢野:そうですよね。森光子さんも唄われましたね。

黒柳:森光子さんが唄われることは知ってましたけど古賀政男さんが唄われるとはね。

矢野:そうですよね。

黒柳:アコーディオンが入っていますもんね。

矢野:そうなんです。

黒柳:だから今、皆さんがお唄いになるカラオケのはしりだったんですね。

黒柳:当時サントリーウイスキー一杯が八〇円で。

矢野:八〇円は高い方だったんじゃないかな。ビールが一六〇円は高くって、飲む客が少なかった。

黒柳:ビールを飲む人がほとんどいない!!。

矢野:いても・・・今日はビールを飲んだぞーという感じ。サントリーのオールドなんていうと棚に飾っておくだけで、ながめるだけ。角もそうでした。

黒柳:当時ビール一六〇円ということは、月給が大学を出て、八千円か九千円ですかね。

矢野:いや、もっと下じゃなかったかな。

黒柳:そうですね。当時私が三八年くらい前で九千円から一万円でしたから、四〇年前だともっと下だったかしれませんね。しかし世の中変わったですね。今じゃビールから始めようなんていってる時代ですからね』

矢野:今でもビールは高いと思いますよ。スペインではビールよりも水の方が高いくらい、ビールは安いですよ。

黒柳:紀ノ国屋書店を作った田辺茂一さんという方がいらして、新しい店をつくる時は歌舞伎町にしろ。これからのびるから。紹介してやるからとおっしゃって見に行かれたんでしょ。そしたら・・・。

矢野:いや!!道はどろんこで建物はほとんどなく、地球座という映画館と銭湯が一軒残っていて省線(山の手線)が走るのがまる見えで、夜、懐中電灯を持って見に行きました。安普請の家が三軒くらいあってその一軒だったのですが、あきれかえりましたね。こんなどろんこで暗いところに誰も来ない!!何という人だろうと!!信用できない!!。

黒柳:まあ。歌舞伎町ですよ!!あの歌舞伎町ですよ!!考えられませんね。

矢野:田辺さんは山手信用金庫の理事をやっていらっしゃるからあの辺の情報はすぐ入るから、間違いないと。

黒柳:そうですね。なんだか田辺さんは信用できないといった感じがしますものね。とても素晴らしい人ですけどね。

矢野:本当に新宿を愛した人ですね。

黒柳:本当にそうですね。

矢野:歌舞伎町に店を出していれば今ごろは左うちわだったかもしれませんが、今の場所に出して良かったと思いますね。歌舞伎町というところはざわざわして落ち着かないですね。

黒柳:お宅の新宿三丁目あたりは静かで昔とあまり変わらないでいいですね。

矢野:お酒が飲めないのによくご存知ですね?。

黒柳:青年劇場の稽古場が新宿一丁目のあの辺にあってよく行きますから。

矢野:ああそれでご存知なんですね。

黒柳:そろそろ時間になりました。これからはスペインにお帰りになるのですね。店の方がどうなさるのですか。

矢野:まかせていますから大丈夫です。

黒柳:スペインといえば、私は狂言の聾唖劇団をやっていますが、マドリードの公演の時は大変お世話になったそうでありがとうございました。

矢野:いいえ、あまりお世話出来ませんでしたが、とても評判がよく、また機会があったらやりたいですね。

黒柳:今日はありがとうございました。

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