1995年(平成七年)

流されません『どん底』は/園江 治 -Osamu Sonoe-

『どん底』へ出入りするようになったのは、劇団四季に入団して先輩に連れられていったのが初めてですから、二二歳ころだったでしょうか。アコーデオンとピアノを伴奏にロシア民謡やシャンソンの歌声が賑やかに聞こえてたのを覚えています。私自身ギターやピアノを弾きながら歌うのが大好きだったので、それをきっかけによく出かけては歌声の仲間入りをさせてもらいましたっけ。

何時ごろから歌声が途絶えてしまったのか定かではありませんが、それでも稽古帰りや劇場が跳ねた後に、一階のバーカウンターに先輩や同僚と推しかけては、相川さんや前原さんを相手に話がはずんだものです。

地下に故三島由紀夫氏が命名した「ラ・カーブ」がオープンして、時々ひやかしに覗いたりもしましたが、バーカウンター以外に一度ガールフレンドと座りたかったのは中二階のコーナーでした。残念ながら実現はしないまま三八年も経ってしまいましたが。

あの当時、ピザといったら六本木のニコラスかシシリアでしか食べられなかったのに、『どん底』の名コック富さんの作る、チーズをたっぷり盛った薄焼きのピザは正に逸品で、ずいぶんと僕たちを楽しませてくれたものです。他にもいろいろとアイデア料理がありますが、未だにメニューからはずしていないところがなんとも嬉しい次第。飲み物は「どんカク」がまた傑作で、一夜これで結ばれた人たちも何組かいたそうですな。

六〜七年前に、女房のヴィオリンと私のギターの弾き語りで「デュオ・パローレ」というバンドを結成しまして、毎月一回あちこちの知り合いの店で演奏をしていましたが、ある時、『どん底』でも演奏会をやろうという話がもちあがり、あの懐かしの三階でコンサートを何回かやらさせてもらいました。

今は、時たましか顔を出さなくなってしまいましたが、いまでも当時の雰囲気を損なうことなく保っているのには頭がさがります。

とにかく僕たちは、『どん底』に一歩足を踏み込むと青春が甦るのです。五〇年ほんとうにありがとう。二一世紀も流されることなく楽しませてくださいな。

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久慈 直和 -Naokazu Kuji-

私は、戦后、鎌倉に出来た鎌倉アカデミアに入学し、村山知義先生を科長とする演劇科で、芝居を勉強しておりました。

ある日、学校の授業の一環として、丸の内の帝国劇場で上演される新協劇団による、ゴーリキーの『どん底』の舞台稽古を見学する事になりました。その時、劇中で流れる「どん底の唄」に、若い我々は、すっかり魅せられてしまい、その后この歌は我々演劇科の愛唱歌になっていろいろの場所で歌はれ、ついには各科対抗の野球試合での応援歌として歌はれるようにまでなりました。

その后私は、学校卒業と同時に演劇の世界とは訣別し、一九五一年に新宿伊勢丹むかいの映画館に本拠のある映画興行会社に就職しました。その頃の新宿は、まだどこから戦災の傷あとが残っており、歌舞伎町などは、野球の試合が出来るような野っ原でした。その様なある日、私は会社の悪友と酒を飲み、角筈の交叉点の交番の横丁をはいって、寄席の末広亭の通りをつきぬけた左側(現在の熊本ラーメン桂花があるあたり)に『どん底』という看板を目にして、学生時代の頃を想い出しフラフラとすいこまれるように、店の中に入ってしまいました。それが私と『どん底』との出逢いでした。店の間口は一間半もあったでしょうか。表はなんとなくうす暗い感じで、中に入ると最初に目についたのは、酒の一升ビンの底をこわしたものを、電灯のシェードにしたものがぶら下がっており、カウンターはかぎ形に一段高くかまえ、それにそって丸椅子が並び、七、八人もすわるといっぱいになってしまう様な、こぢんまりとした店がまえでした。カウンターの中には、矢野さん、奥さんのひろ子さん、そして小柄なチアキ君(あとでニッポン放送にいらしたが、今は亡き人)との三人がいつも、明るくむかえてくれてました。

矢野さんが、一升ビンの胴体に線が入っているものをもって、焼酎はここまでいれて、炭酸はここまで、あとは秘密のものをいれて、ビンにふたをして、シェイクしてブレンドして『どんカク』なる不思議な酒を、客に飲ませておりました。

又、二〇年位い前になりますが、私が中学の同窓会の流れで、四、五人の友人と『どん底』をおとずれた時の事です。友人の中に作曲家の山内正君がいたのですが、私たちが席にすわると、合唱の伴奏をしていた、アコーデオンの方が山内君を見つけて、山内君の作品を演奏してくれました。その日はそれで、大いに盛り上がったのですが、五、六日たって、山内君が自宅で急逝してしまったのです。私たちは本当に愕然とした思いでしたが、山内君に最后に楽しい思い出をささげたのだと、今は思っております。

『どん底』は私が定年まで勤めた会社のそばにあったことでもあり、私の酒飲み人生の、大きなポイントであったと思います。

半世紀の祝いをむかえた『どん底』の、益々の御発展をお祈りする次第です。

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