1999年(平成十一年)

『どん底』と私/藤原秀三 - Shuzo Fujiwara -

五〇周年おめでとうございます。
私は実家の酒屋を継いで早三〇年、『どん底』とは、納入業者としておつき合いをさせて頂いております。新宿には数えきれない程の飲食店がありますが、単一店で五〇年・半世紀も続いて今尚、繁盛している店はそんなに多くないと思います。店舗そのものも、十年位のサイクルで改装し、メニューも改訂し新装開店の繰返しです。リニューアルしたとしても、必ずしも繁盛し生き残れるわけでもありません。むしろ消えていく店が多いのが現状です。そんな中で何故『どん底』が五〇年も変わらず繁盛し続けてこれたのか。業者としてこの業界を見てきた私には、何となくその答えが解るような気がします。私が初めて納品の為に『どん底』の店内に入った時、店内はきれいに掃除され、納品しやすい様に気配りされていることがわかりました。すぐにでも開店できるように片づけ店を閉めることは、簡単な様でなかなか出来ないことです。配達先の店の半分はそのままの状態で締めています。この姿勢が商売の基本ではないでしょうか。オーナー、従業員、お客様の関係も、楽しく素晴しいものです。初めて来店されたとしても、もう常連ですよという雰囲気になり、又、訪れたいという気持にしてくれます。『どん底』を真ん中に気取らない輪がどんどんと広がっていきます。それは従業員の皆様の接客や、お客様同士の横のつながりで一層強いものにして居るのだと思います。『どん底』精神を皆で築いているのでs.

常連客の多くは、酒豪ぞろいで、その中でも○○ちゃんは“主”の様な人で、毎日通い、次から次へと『どん底』出身者のお店をはしごしていました。私も○○ちゃんと会うとつい一緒に朝まで飲み明かす日々がありました。ずい分と前になりますが、朝七時頃、我が家の前で騒いでいる○○ちゃんが居ました。「これから飲みに行くぞ」と誘われましたが断るのに一苦労した思いでがあります。ウィークデーは会社と『どん底』の往復で、週末だけ自宅へ帰っていたそうです。○○ちゃん、現在は週二回に減ったそうですが・・・。

それと『どん底』と言えば忘れられないメニューがあります。「ピザ」と「どんカク」、これは新宿広しといえど他にない絶品です。私にとっても青春の一ページなのです。

『どん底』のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

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『どん底』と私/田中芳男 - Yoshio Tanaka -

「私は矢野智と一緒にトレドの町を見下ろす丘の上に立っていた」から始まる「井ノ部」氏が書いた「新宿・どん底の青春」の本を読んで私が知り得なかった『どん底』の草創期の風景がなんとなく理解できました。智さんの苦労、でもそれを乗り越えていく若さ、そして側面から支えて下さったお客様「米倉徳兵衛」氏、「見学玄」氏を始めとする大先輩諸氏の力を感じずにはいられません。今この時に『どん底』に関わっていられる自分はこの様な諸先輩のおかげと感謝申し上げる次第です。私も『どん底』とは仕事の関係もあり中抜きの数年もありますが、足掛三八年になります。最初に『どん底』に足を踏み入れたのは東京オリンピックを翌年に控えた昭和三八年でした。新宿の街も活気に満ち満ちていた時代でした。二丁目にあった『キーヨ』、『どん底』、『チェック』などに毎日屯していました。当時の『どん底』はいつも満員でいつも床に座るか立って飲んでいました。毎日が楽しくてしょうがない青春真只中でした。それから現在に至るまでお世話になっております。一九九九年の八月には念願かなってスペインに行くことができました。オヤジ(智さん)が果物を持ってホテルで待っていてくれました。二日目の夜は『どん底』でオヤジが自分で朝、市場に行って仕入れてきたアジを開きにして日蝕干し(この年ヨーロッパは何十年振りかの日蝕の時)にしたものをつまみにだしてくれたりたいへん気をつかってくれました。私達夫婦は元より一緒に行った村松、木原夫婦もたいへん喜んでくれ全員大満足な夜でした。これもオヤジ、相チャン、現地で案内していただいた守屋君のおかげとこの紙面を借りてあらためてお礼と感謝を申し上げる次第です。それから一年後の二〇〇〇年の夏には、『どん底』の夏休みを利用して相チャン、1Fのバーテンダー宮下君、そして福チャンと私の四名で台湾グルメ旅行に行ってきました。朝から晩まで良く飲みよく食べまくった旅でした。これも『どん底』を媒体にした仲間との楽しい旅でした。私のこれからの人生においても『どん底』は一つの重要な基地であることは間違いありません。どうぞこれからも皆さんをはじめ相チャンお店の皆様、そして水曜日に会う気のおけない皆さんとこれからもよろしくおつきあい下さい。

今、私はスペインに一緒に旅した仲間とドイツを旅行中です。この原稿もマイン川を見下ろすフランクフルトのホテルで書いています。人生の想い出作りの旅の途中で五〇周年の原稿を書けるなんて無上の喜びです。私ごときに『どん底』五〇周年という記念すべき冊子に寄稿の機会を与えてくれた相チャンに心より感謝申上げるとともにわが青春の『どん底』の益々のご発展をお祈り申上げます。

二〇〇〇年八月一四日ホテルインターコンチにて。
「さて今夜はマイン河南岸の飲み屋街『ザクセンハウゼン』の方へ飲みに出掛けるとするか・・・」

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